そんな自分の不等号に気付いてしまった今日このごろ。
かつては、私の数少ない長所として、言葉の丁寧さや礼儀正さがあると思ってましたが、
最近になって、それは実は間違っていたなあと感じ始めています。
私は誰に対してでも、敬語というか、丁寧語(っぽい)口調で話すことが多いのですが、
これは相手の年齢や身分などは関係なく、自然体で話そうと思うと、勝手にそうなります。
むしろ、同年代にタメ口で話たり、年下に偉そうに話したりすることの方が苦手です。
なので、昔から同級生等に「なんで敬語になるの?」と言われたりしたので、
敬語に関しては、出来ているものだと思っていました。
しかし、「本物の敬語」や「本物の社会のルール・礼儀」を見聞きしたりして、
それが全くの勘違いである事に気付いた次第です。
私のは敬いもない、ただなんとなく丁寧っぽい言葉なだけですが、
就職活動などをしていると、驚くぐらい丁寧な人がいますからね。
タイトル通り、そういった些細な言葉遣いをマイナス面で大きく上回るほどの、
無愛想加減の方が酷いと感じることが多いです。
私の無愛想は基本的に人見知りからくるものなので、
1時間ぐらいまともに話せば、そのイメージも多少抜けると思うのですが、
とにかく咄嗟の言葉や行動からは、愛想のなさがにじみ出てしまいます。
自分では敬語も礼儀もできているつもりでも、客観的に見ると、たぶん駄目でしょうね。
どうしても反射的な態度がそういう感じになってしまうので・・・。
ただ、あまりにも馬鹿丁寧と言ったら失礼ですけど、
形式にはまった、日常生活でまず言うことのない言語を駆使してまで、
敬語や礼儀を徹底する人を見ると、見てるこっちが照れることもあります。
羨望やコンプレックスもあるのですが、「何もそこまで・・・」という気持ちもあって、
苦笑いをしたくなるんですね。まあ、会社や場所によっては、
そこまでする必要もあるのかもしれませんが、もうちょっと自分の言葉で話しても良いのでは?
と思ったりもします。丁寧なだけで意味や意図が十分に伝わってない気もしますし。
だから最も個人的に「凄いなあ」と思うのは、
口調や言葉遣いは普段(普通に話す時と)それほど変わらないのに、
きちんと敬語や礼儀ができつつ話せる人ですね。
おそらく、それが自然とできる人ほど仕事もできるのでしょう。
またしても、自分の短所というか課題が見つかったわけですが、
そうこうしてる内に、いよいよ肩慣らしは終わって、蹴落としが行われる本番が始まりそうです。
受験戦争も経験せず、競争する時と言えば、みんGOLのリアル大会の時ぐらいな私に、
生き残りの道はあるのでしょうか。最初から上手くいくわけないので、
ぶっ飛ばされて、現実を見て、早いところ吹っ切れたいですけど。
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